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「バーテンではなく、バーテンダーとして生き抜く」アルチザン(職人・工匠)ストーリー #1(動画あり)

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「麻布十番のハードシェイカー」かく語りき

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初夏の足音がステアされた氷のように聞こえる梅雨の間隙のある日、麻布十番の会員制バーラウンジ「under」のカウンター。

 

そこで、一人のバーテンダーと対峙した。

 

バーテンダーの由来は、「バー」=「木の棒」と「テンダー」=「見張り役」という説もある。アメリカ西部の開拓時代、飲食店では樽に入ったウイスキーをグラス売りしていた。しかし無法者が勝手に注いでしまうことも多く、樽と客席との間に木の棒を置いて近づけないように工夫。さらにテンダーという見張り役を置いたという。

 

時代とともに、バーは「カウンター」に、テンダーはもう一つの意味「世話人」として変わってきたとも言われている。

 

そのバーテンダーは、白いバーコートを凛と着こなしている。

 

オーセンティック、「真の」「本格的な」「正当な」印象を真っ直ぐに感じる白いバーコートスタイルは、大正時代、日本郵船で仕事をしていた数人のバーテンダーに始まるという。船内で洋酒を提供するのに相応しい服装として採用され、後にそのバーテンダーが街場に降り、広まったと言われている。

 

当時、舶来の洋酒はめったなことでは手に入らない高級品のため、格式を重んじた服装でサービスすべきだと考えたのだろう。

 

「ジンはタンカレーのNo.10です」

 

ギムレットをオーダーすると、バーテンダーは口を開いた。

 

「スタンダードはコーディアルライムなのですが、味と風味が良くなるので、生を絞ったライムジュースと粉糖を入れます」

 

シェーカーに材料を入れると、シェイクが始まる。材料がボディの底面にぶち当たるようなハードシェイクだ。

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「under」のバーテンダー進林勇太は、日本バーテンダー協会主催の大会に過去6回出場経験を持ち、沖縄大会ではオリジナルカクテル「美太陽」で自身の最高位となる総合3位を獲得した実力者である。

 

「ギムレットには、まだ早すぎますが…」と、はにかみながらレイモンド・チャンドラー「長いお別れ」の名文句を口にして、グラスをそっと差し出す。

 

なるほど、コーディアルのみの使用なら色は淡く透明なグリーンであるが、果汁を使うと白濁色となりチャンドラーのそれとは、印象が違う。

 

飲み干されたグラスを見つめる進林は、ハードシェイクと異なる、穏やかなトーンで自分の生い立ちを語り始めた。

 

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“必然だったバーテンダーへの道”

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進林 勇太(Yuta Shinbayashi)
株式会社バグース 
under 主任

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九州・大分出身の進林は、お酒が嗜める年齢になると同時に、地元のオーセンティックなバーに通うようになる。正統的な雰囲気が、真っ直ぐな人間でありたいと思う自分の合わせ鏡のように感じていたのだ。

 

バーテンダーの一挙手一投足を、息を飲みながら見つめる日々が増えると、いつしかグラスの中の美しい色彩に心奪われていた。

 

「綺麗なカクテルを自分でも作ってみたいと感じていました」

 

ほどなくして、進林がダイニングバーで働き始めたのは、必然的だったようだ。

 

「部屋の中は洋酒関連の書籍で溢れ出し、シェイカーを枕のように寝ているような生活でしたね」

 

月日が経ち、店に慣れてくると次第に探求心が湧いてきて、もっと高みを目指したい気持ちが抑えられなくなる。

 

「常々、先輩方からは『バーテンダーの技術は銀座が最高峰だ。早く、銀座で修行した方がいい』と助言をいただいていました」

 

28歳になると、満を持して上京。銀座8丁目「GINZA BAR 江(こう)」の門を叩く。

 

銀座の隠れ家的フルーツBARを謳う「江」は、季節のフルーツを豊富に取り揃え、こだわり抜いた新鮮なフルーツを贅沢な一杯として提供するBARである。オーナーは、進林が生涯の師匠と崇める江崎英夫氏。

 

「3年間修行しました。今でも大変お世話になっています。フルーツの販売も行っているので、季節のフルーツの品質や価格帯、提供スタイル、バーテンダーの指導方法など、勉強になります。料理もとても美味しいのです」

 

探究心旺盛な進林は、休日になると銀座を中心にBARの名店を巡り続けた。

 

「とにかくバーテンダーの技術が凄い 『GASLIGHT(ガスライト)』は、今でも足しげく通います。とても刺激になります」

 

「GASLIGHT」はアメリカの禁酒法時代、初代オーナーBarton Browne Founder氏が自宅で隠れ家酒場として開業し、1953年にシカゴにて本格会員制BAR「ガスライトクラブ」をオープン。絶頂期にはパリやNYにも出店し、その流れで昭和30年代初頭に日本の狸穴(現在の麻布台)にもオープンする。その後オーナーも変わり、昭和63年にクローズを余儀なくされる。

 

しかし、平成元年に霞ヶ関にリニューアルオープン。数々のカクテルコンペティションにて日本チャンピオンを輩出し、現在霞ヶ関本店、銀座店、EVE、四谷店と歴史を継承している名門BARである。

 

「銀座らしい老舗のオーセンティックなBARも好きです。創業1940年の『スペリオ』は、銀座の古き良き時代を彷彿させる佇まいもさることながら、4代目マスターの物腰の柔らかさに惹かれますね」

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「江」での修行を3年一区切りと考えていた進林は、知人の紹介で麻布十番「UNDER」  のバーテンダーとなる。

 

「under」は「PIZZA STRADA」「焼鶏しの田」「土佐料理 桂浜」など人気店が凌ぎを削るビルの地下にあり、会員制で入店の際は指紋認証が必要となる。客層は富裕層が主で、有名人や著名人の来店も多い。

 

「銀座は平日の仕事終わりに来るお客様が多いのですが、麻布十番は土曜日や、近隣にお住まいの方が帰宅後にいらっしゃるケースも多いですね」

 

銀座で培った技術や接客術は、マーケットの違う麻布十番でもすぐに受け入れられたようだ。

 

「ウイスキーやスタンダードカクテルを楽しまれるお客様が多いですが、確実に定着しているのがフルーツカクテルです」

 

フルーツカクテルが出始めたのは15、6年くらい前。「BAR RAGE」の北添智之氏が第一人者として知られている。

 

「私の師匠も北添さんのもとで働いていたので、作り方は似ているかと思いますね。『under』のフルーツカクテルは基本的にブレンダーを使いますが、ボストンシェイカーでフローズンに仕上げるか、さらっと飲みやすくするかというので使い分けています」

 

常連のお客様からは「日本で一番おいしい」と評されることも多いという。

 

「健康ブームの影響もあって、シニア世代のお客様にもフルーツカクテルが定着しています。『今日のフルーツ何?』とお客様からアクションされることも多いですね。果物は苦手だけど、フルーツカクテルならいけるという男性もいますよ。この夏おすすめのフルーツカクテルはパッションフルーツですね。あとは、王道のシャインマスカット」

 

トレンドのミクソロジーカクテルへの研究にも余念がない。

 

「日本のバーテンダーも海外から色々技術を取り入れて、液体窒素などを使っていたりしますが、作るのに手間がかかるものになると、お客さまをお待たせしてしまうことも。それもバーテンダーのプレゼンテーション次第だと思いますが」

 

ミクソロジーカクテルとは生のフルーツや野菜を使って作るリキュールやフレーバーシロップなどを使わないカクテル。ミクソロジー(mixology)とは、mix(混ぜる)とology(論)からつくられた造語であり、ミクソロジーカクテルをつくるバーテンダーをミクソロジストと呼ぶ。

 

「ミクソロジーのテクニックは小出しにしています(笑)。もっと勉強して、これからも伝統、王道を守りながらも新しいものに挑戦していきたいなと思っています」

 

大きく胸を張って全てを語り終えたと感じた進林は、いつの間に準備をしていたのだろうか、フルーツカクテル用のボストンシェイカーを振り始めた。

 

ボストンシェイカーは、ティンと呼ばれる金属製のカップと、厚手のパイントグラスや小さ目のティンなどを組み合わせた2ピースタイプのシェイカーである。

 

「バーテン」ではなく「バーテンダー」であることにこだわる進林勇太は、きっと伝統と革新というカクテルを作り続けて行くのだろう。

 

スタイルは、そうハードシェイクだ。

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奥様をカクテルで表現すると?との問いかけに「ホワイトレディです」とまるで用意していたかの様に答える。理由は「芯があって甘さもあるし、純粋な感じが(笑)」と麻布十番のハードシェイカーもプライベートは、ソフトいや、スウィートだ。